最近、街路樹や神社の境内などの樹木が無残に伐採されたり、
枝を削ぎ落されした光景を目にすることが多々あります、
また、テレビでは沼の水を抜いたりして、名目は外来種を駆除するという立て前で、
何が棲んでいるか視聴者の好奇心をあおる番組があります。
確かに鳥が巣を作ったりしたために糞害が発生したり、
葉が落ちたりして困るなど負の面はありますが
樹木には木洩れ日というきれいな言葉がありますが
日差しを和らげたり、大気をきれいにして人の心を浄化したりしてする大切な役割があります。
外来種の駆除は固有種を守るために必要ですが、
水を抜けばそれ以外のの魚も相当数犠牲になり、見世物として行うものではないと思います。
近頃はカエルや昆虫をさわれない子供も私が通っている空手道場でもたくさん見かけます。
私たちの生活がスマホなどの普及によってバ-チャル化して自然とカイ離してしまっているような気がします。
もう少し自然を大切にして共生する道はないものかと考えるこの頃です。
栃木市嘉右衛門町の神明宮の立て看板(明治39年)をみて、明治の人たちの考え方の素晴らしさを
温故知新ではないですが、現代の人も学んだ方がよいと思って、書かせていただきました。